遍満寺 第十四世 住職の河野 清麿 (かわの きよまろ) と申します。このたびは遍満寺のホームページに立ち寄っていただきありがとうございます。
遍満寺は西淀川の地、この姫島にて約500年間、この町の燈光として手を合わせつづけてきた歴史ある寺院です。 この辺りはかつて漁師町でお寺が丘の上に立っていたので灯台のような役割をしていたと聞き及んでいます。
このお寺が大切にしていることは、もちろん仏教や浄土真宗の教えなのですが、私がみなさまにお伝えしたいことは「会話」「約束」「記憶」「儀礼 (物語)」の4つです。少し長くなりますが最後までお読みいただければ幸いです。
いままで、なかなかお寺とご縁のなかった方もいらっしゃると思いますが、私自身は「寺は敷居が高くとも、僧侶は物腰は低く」と考えており、お寺の門はいつも開けています。(朝六時から夕方六時まで)
みなさんの中では、お坊さんは「説教」というイメージもあり「お話を聴く」とお考えかもしれませんが、まずはみなさんのお話を聴かせていただければうれしいです。 お坊さんと言っても人の子ですので、とくに初対面は緊張しますし、まずはみなさんのことを知りたいです。そこからお互いにいろいろとお話できればこんなに嬉しいいことはありません。
あなたは一人ではないよ。仏様 (阿弥陀様) や私たちがいるよという「約束」をしています。 一つの例として、あなたが亡くなったとき、できるだけ早く阿弥陀様とともに駆けつけて、その枕元でお声がけ (お勤め) させていただきます。 また、あなたが大切な人を喪ったとき、できるだけ早く駆けつけさせていただきます。 「あなたは一人ではない」そんな約束です。
当寺院では葬儀や法事もありますが、特に「月参り」というものを大切にしています。毎月決まった日 (命日) に、自宅にお伺いして共に手をあわせるものです。その際、お経だけでなく、他愛もない雑談をできるだけしています。 その雑談は年月を重ねるたびに、そのご自宅の方はもちろん、僧侶である私の記憶 (想い出) となります。
私は9歳のころから、この「月参り」をさせていただいており、もう約40年近くになります。それは言い換えれば、昭和・平成・令和の時代をともにみなさんと生きたということができるのではないでしょうか?
流石に40年も経つと、すでにお亡くなられ、見送った方も多くなってきました。 でも、毎月その方のご自宅へ伺い、その遺影写真や名前を拝見するたびにその人の声や姿を思い出して手を合わせることができます。 長く続けていれば当たり前のことかもしれませんが、この長い年月にわたり積み重ねて来た記憶を以て、いま生きる方も見送った方達とも関わって生きていければと思っています。
人間ではどうしようもないできごと、「生老病死」「疫病・災害・戦争」などが起こった際、人間を超えた神仏の物語りでこのどうしようもない私達の心を納めようとするのではないでしょうか? その物語を儀礼を通して関わったみなさんとともに表現できればと今は思っています。
みなさんはお寺に対して「敷居が高い」「めんどうだ」と感じたことがある方いらっしゃると思います。 寺院には人智を超えた存在として仏様がいらっしゃいます。仏像というお姿はあっても、それは形だけかもしれません。 でも、ほとんどのみなさん仏様 (仏像) に対して表現は様々ですが敬意を払いますよね。だから、お寺は敷居が高いと感じるのではないでしょうか? 逆にお寺が気兼ねない場所すぎては、その仏様の尊さや敬意も低くなってしまうかもしれませんね。 これらのことは、なかなか体験していただかないとわかりづらいかもしれませんが、敷居が高いと感じる存在 (敬意払うことのできる存在) だからこそ「ありがたさ」「救い」「癒し」などにつながるのです。
まずは、お時間が許せば一度あなたのお話を聴かせてください。 あなたのこと、故人 (あなたの大切な方) のことなどどんなことでも大丈夫です。 当寺院の阿弥陀様の前にて、一緒にお話を聴かせていただければこんなうれしいことはありません。
この度は遍満寺のホームページに足を運んで、ごあいさつを最後まで読んでいただきありがとうございました。 これも何かのご縁です。 また、このホームページを覗いてみたり、気兼ねなくお寺にご連絡ください。 みなさまの平穏を念じて寺院より手を合わせさせていただきます。
合掌
龍法山 遍満寺
第十四世 住職 河野 清麿
「誰を誰と一緒に弔うのか?」
覚悟していても、人が亡くなるときは、いつも「急」です。そんなとき、駆けつけて、ともにお見送りさせていただければと思います。
「故人はどんな人でしたか?」その思いを聴かせてください。
葬儀、私達の大切な人々が安らかに穏やかでいますように。 阿弥陀様のもと、ともに手を合わせていただいています。
納骨、毎月1回・雑談15分・80年
遍満寺は月参り (定期的なお参り) を大切にしているお寺です。 大切な人が亡くなったときも、新しい命が生まれたときも、自分自身が迷ったときも、月日は同じく流れます。 何気ない積み重ねがこころの安寧につながるかもしれません。
定期的に一緒に手を合わせませんか?
月参り、「私が死んだらどうなるの?」
「これからどうすべきか?」
生老病死について、子ども (次世代) や親族などになかなか話せない、聞けない。 誰に託したらいいのか?
その思いを一緒に考えさせていただきます。
終活、仏壇・お墓のことで 「子供 (次世代) に迷惑をかけたくない」
「自分の代で見る人がいなくなる」
「遠方や嫁いでいるのでみていくことができない」
など、お困りの方は一度お話を聴かせてください。
仏壇・墓終い、何気ない日常のことから、自分ではどうしようもないこと等、その思いを阿弥陀様とともに聴かせてただきます。
心の相談、私は先代であり実父でもある第十三世 河野 文麿から下記のように聴きました。
寺伝によれば遍満寺は、開基 越智喜兵衛通利(法名 浄願)が創立しました。 御先祖は伊予(現在の愛媛)より淡路に移住したのち、一族共に明石あたりを経て、 姫島の松原(後に稗島)を開発し、このときに浄土真宗の門葉となったそうです。 そして二代目 通利のときに道場を建て、御絵像・阿弥陀如来と御文一帖を奉安しました。 その御文には証如上人のお名前と天文六年(1537年)と裏書されていたそうです。
時は流れて、豊臣秀吉の御代 文禄三年(1594年) 太閤検地の節、年貢を免除され、そして本願寺東西分立 慶長七年(1602年)二月の年、 徳川家康公が教如上人に京都東六条の寺地寄進した時期に、一家皆倶に教如上人に歸依し、真の門徒となり、 御文一帖下附を請うて始て御剃刃頂載し、法名を釋浄願と改めました。
次いで第三世 浄玄のとき寛文四年(1664年)に御本尊・寺号龍法山遍満寺と下附せられました。 第四世 浄哲のときに六間四面の本堂を宝永四年(1709年) 建立。 その後、第五世 浄界が庫裡、同二年には本堂を宝暦元年(1751年)に修覆し、本堂建立以来二百八十余年の久しきにわたり、 この姫島(西淀川区)の地で、この町の無明長夜の燈炬として人々を照らし続けてきました。
しかし、太平洋戦争末期 昭和二十年(1945年) 三月十四日未明の大阪空襲にて、遍満寺は太鼓楼以外は一切空しく灰燼に帰しました。 辛うじの救いは、第十二世 釋潤徳(河野 包麿)が燃え盛る業火の中より阿弥陀如来の御尊像をなんとかお連れすることできたことでした。 この空襲で寺院だけでなくこの姫島の地は焼け野原になりました。 第十三世 河野 文麿も得度したての子どものころから月参りなどで、幾度も門信徒のお爺ちゃん・おばあちゃんから、その焼け野原の寺と町の風景のお話を聴かされてきたそうです。
住職始め門信徒一同、姫島の町のみなさんの涙もでない悲しみと絶望・虚無感…、これで、町も遍満寺も、そして、私達も消え失せてなくなってしまうのかと思ったそうです。 しかし、第十二世(祖父)と先代(父)をはじめ、真宗の念佛成佛の相続心は、この戦争での猛火でも消すことはできず、 復興の熱意は燃え、翌年には仮本堂を建立し、昭和二十九年(1954年)には祖父が病苦におかされたのを機縁に、 祖父は最後の命を賭して本堂再建五ヵ年計画を披露し、翌年昭和三十年(1955年)五月には第一回再建まつりが行われました。
ゆっくりとした再建ではありましたが着実に復興整備の実はあがり、昭和三十四年(1959年)十月 戦災都市計画の際、太鼓楼を移転し山門に活用し聖徳太子尊像を奉安。昭和四十二年(1967年) 本堂屋上に鐘楼。昭和四十三年(1968年) には納骨堂新装。
そして、平成元年(1989年) 山門・塀・諸堂宇の瓦葺替が成就したときは、戦後の自分達の再建と寺院の再建興隆を重ね合わせ、戦後ともにこの町で生きて来た門信徒のみなさまの喜びはそれはもう歓喜に耐えられないぐらいのことだったそうです。
終戦後の再建から、平成の阪神大震災、令和の疫病も乗り越え、この姫島・西淀川区の地で今もこれからも、門信徒はもとより、この町の人々を灯し続けています。 願わくばこの寺苑、いつまでも後の世の燈となりますよう。皆様と佛法僧の三宝信順に、手を合わせつづけていく覚悟です。
合掌
龍法山 遍満寺
第十三世 住職 河野 文麿 記
(令和五年十月)
第十四世 住職 河野 清麿 改
日時 | 年中行事 |
元旦 | 修正会 |
春のお彼岸前後 | 春季永代経 /英霊納骨祭り |
4月8日前後 | 花まつり |
5月4日 | 再建祭り |
8月13日 | お盆まつり |
8月30-31日 朝6時-6時半 | 朝起き会 |
秋のお彼岸前後 | 秋季永代経 /英霊納骨祭り |
11月3日前後 | 報恩講 |
12月4日 | 門徒総報恩講 |
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連 絡 先 |
06-6471-0096 特にお急ぎの場合 [遍満寺住職 河野] 090-4309-1641 [葬儀担当 倉内] 080-3611-0055 法務中の場合もございますので留守番電話へのメッセージをお願い致します。 緊急の場合は24時間対応可能です。 |
住 所 |
〒555-0033 大阪市西淀川区 姫島 4-8-1 |
電 車 |
阪神電車 [本線] 姫島駅 4分 [なんば線] 福駅 15分 JR [神戸線] 塚本駅 22分 [東西線] 御幣島駅 15分 |
自 動 車 |
阪神高速 神戸線 [下り] 姫島出口 6分 [上り] 大和田出口 7分 阪神高速 池田線 [下り] 塚本出口 8分 阪神高速 湾岸線 [下り] 中島出口 10分 境内駐車 4台可、事前にお問い合わせ下さい |