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葬儀

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葬儀においての、わたしの願いのひとつとしてお読みください。

人の人生は十人十色であり、人が亡くなる状況も十人十色、正解はありません。 いろいろな考えややり方があります。 ただ経験上言えるのは大切な方を亡くしたとき、ひとは冷静に考えられないということです。 そんなとき「型」があれば安心しやすい。 それも長い間積み重ねられてきた「型」なら、なおさらです。

儀礼や形式を、今どきでないだとか面倒だと思われる方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、人が亡くなるという突然の緊急事態に、しかも限られた時間のなかで自由に考えてオリジナリティを創りだすことは難しく、あとでいろいろ不都合なこともでてきます。 そんなときは長い年月をかけて積み重ねられ、試行錯誤されたものに素直に沿う方が、故人(旅立つ人)、遺された方、それ以外の方にとっても、 こころが納まりやすいのではないでしょうか。 儀礼に則った方が長い目でみれば、結果的に効率的になると、経験上思います。

遍満寺の葬儀ではそのような先人達の智恵をより心にとめて施行・執行させていただいています。 近年は効率・短縮・省略化の時代ですが、人のこころはそうはいきません。 時間と手間がかかるかもしれませんが、他人(寺院・葬儀社)まかせではなく、 みなさんの手で大切な方のお見送りをすることが大事です。

ともに考え、故人に触れて、アットホームな暖かいお見送りさせていただければとおもいます。

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法事法要

法事法要

「どうして法事をするの?」「亡くなった人のため?」「自分のため?次世代のため!?」、 法事は「引継ぎの物語」でもあります。

なかなか法事をする意味をすぐに見いだせないかもしれません。 なぜなら今まで「やったことも」「みたことも」ない事柄かもしれませんし、 参加しても退屈な時間だったかもしれません。 そんなときどうしても、慣れた考え方の費用対効果(コストパフォーマンス)や 時間効率(タイムパフォーマンス)で現代人は考えがちですが、 法事・仏事は、まったくそれらとは真逆の考えかたなのです。

少しきつい言い方になりましたが、もし法事がムダと感じたことがあるなら、 誰の法事で費用と時間のムダとおもいましたか? それはもしかしたら、故人との関係性(心理的距離)の問題で、費用自体が問題ではなく、 その人のために費用も時間も使いたくないという気持ちがどこかあるからかもしれません。 それでも法事はやった方がいいと私は思います。 なぜなら「どうしてその人のために費用も時間も使いたくないか?」という問い自体が、 あなたが穏やかに生きていくための何かを教えてくれるかもしれないからです。 例えばあなたが憎んでいる人がいるとして 「なぜその人はそんな考え方をして、そのような行動をするようになったのか?」と どんな人もその状態になる事情があったかもしれないことを感じることができるかもしれません。 もちろん相手の事情を知ったとしても許すことができないかもしれません。 でももしかしたら受け入れることができるかもしれません。 そんな「可能性」がある時間になるからです。 またその憎い人に対して「私はちゃんと弔った」という経験があれば、 今後のあなたの人生を良い方向へと導いてくれるかもしれません。

法事がなぜ今まで継続されてきたか? それはやはり何らかのいいことがあったからです。 そうなるように法事には先人の智慧も入っているからです。 これからの時代、少子高齢化や未婚率も高くなってきていき一人身の方が増えていきます。 その一人身の方もいつかはお亡くなりになります。 やはり、最後は誰かに後のことは託さなければなりません。 親族がいる方でも、親族や人に迷惑をかけたくないと思い、 士業の方に依頼する方もいらっしゃいますが、どちらにせよ親族と関わらなければなりません。それなら私は前もって親族関係とできるだけ良好に繋がっておく方が、お互い安心して、もしものときにいろいろ進められると思います。 法事はこれからもっと大切な繋がりをつくる機会となると思います。 もちろん法事は亡くなった方や先祖を偲ぶ時間でもありますが、 亡くなった方を縁として老若男女問わず人を結びつけるものだと感じています。 日本人は改まってパーティーを開催するにはハードルが高いですよね。 法事は「亡くなった人のため」と全ての世代が集まる口実になりやすいです。

さらに法事は終活・死生観教育(デスエデュケーション)の場でもあります。 近年は病院や施設で亡くなることが多く「死」を目の当たりにして、 死という出来事に触れる機会が減ってきています。 「死んだら人はこうなる、こう扱われる」 「人が亡くなったらこんなことをしなければならない」 「人が亡くなったらこんなことをしたらいい」など 法事は世代間の学びの場となり得ます。 また回数を重ねることで、いずれ来る自分が見送れるときの準備にもなり得ます。 私たちもそう遠くない未来「先祖」となるのです。

最後に、法事の時間はたわいもない時間となるかもしれません。 それでも人が亡くなったというのが縁で老若男女が集まる稀有な時間です。 あとでふり返ってみると深い時間となり得るものです。 みなさんの人生に余白をつくることでしょう。 不謹慎かもしれませんが寺院としては、柔軟に先人たちの智慧をおもんばかり、 みなさんの希望を聴きながら、参加してよかったと思える法事をこころがけます。 一度みなさんのお話を聴かせていただければ幸いです。

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納骨

納骨

お寺での納骨は思い・願いをお預かりしているとも言えます。 現時点で当寺院の納骨堂には約1000基の方のお骨がお納めされています。

また、必ずしもお骨だけをお預かりしているわけではありません。 例を上げると、先の戦争で亡くなった方のお骨だけではなく戦没地の石や髪の毛、 そして写真・手紙・ハガキなども納めさせていただいています。 そこには納骨なされた方々の願いがあります。 毎日お経が聞こえる場所・阿弥陀様の側(足もと)で、 亡き人(御先祖様)が安穏に暮らせますようにという「願い」です。 そのようなみなさまとの約束を守り、日々手を合わせ続けさせていただいています。

想いがあるにも関わらず、費用面でできないということはあってはいけません。 一度お話を聴かせてください。一緒に考えて工夫できればよいと考えています。

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永代供養

永代供養

みなさんの思う「永代供養」とはどれですか?

  1. 自分自身が亡くなった後のことをお願いしたい
    自分自身が亡くなったとき、託せる人がいないのであとはお寺にお願いしたいというものです。葬儀なども含めたご相談が多いです。
  2. 実家が途絶えてしまうのでそのあとをお願いしたい
    「自分自身が亡くなったとき」と同じく、他家へ嫁いだり、独り身のため 「あとを託せる人」が不在となり、故人・先祖または自分自身のための お参りをどうしたらいいか悩んでいるという方。
  3. 「墓じまい」と言われるものをしたい
    厳密には「墓じまい」というより「改葬」というものになるでしょう。これまでお骨を納めていたお墓を手放して、その中にあったお骨を移す先を探しているのかもしれませんね。 しかし、「墓じまい」をしても中のお骨は残ります。残った故人や先祖のお骨をお寺にお願いできないか?と言ったものです。
  4. お墓を造らない選択をしたい
    現時点でお墓がないけれど、子どももいないので、お墓を造ったとしても先が不透明。また、国内外などの転勤が多く、まだ永住地を決めていない。様々な諸事情からお墓が今持てないため、お寺でお骨を預かってもらえますか?と言ったご相談。
  5. 故人・先祖のためにお勤め・供養してあげたい
    これは遍満寺では「永代経」と呼んでいます。お骨を納骨はせず、故人・先祖のために末永く手を合わせたい、いただきたいということです。遍満寺では年中行事として、春・夏のお彼岸の時期、年に二回「永代経法要」を執行しています。この行事は寺院が継続する限り続けていきます。永代供養を希望した方との約束です。

その他、知っていただきたいことは、

  • 永代供養をしてもしなくても、お経は勤めつづけます。
    寺院・僧侶としてお布施や懇志の金額に関わらず、お経は勤め続けます。
  • 永代供養したから終わりではないです。
    稀に永代供養したから、今後何もしなくても良いと思われる方もいらっしゃいます。お寺としては、せっかくのご縁です。今生きているみなさんにお参りして、手を合わせ続けていただければと思っています。私達もあなたの命がある限り一緒に手を合わせさせていただきたいと思っています。
  • 「永代」と言っても「永遠」ではありません。
    現時点で当寺院、現住職の後継者はいますので寺院の活動は継続できます。 しかし諸行無常を説いている仏教が「永代(永遠・未来永劫)」をお約束できるかと言うと正直困難なお話です。 永遠(永久)でないことは予めご理解ください。 もちろんお寺が継続できる限りお勤を続けますし、 お参りできる場として次世代に継承できるように励む覚悟でいますのでご安心下さい。
    遍満寺の納骨は基本個別ですが、年数がたったものから合肥していくことも予めご了承ください。年数については応相談です。
  • 永代供養(永代経・永代供養)の懇志について
    永代供養でお納めいただいた懇志は「遍満寺の護持・維持(ひいては納骨堂の維持)」のために役立てさせていただきます。 お寺を維持することによって納骨堂と手を合わせる場所を維持することができます。 それは納めていただいた懇志の大小にかかわらず、みんな平等にお寺を護持したことになります。 また懇志の大きい方は大きな徳を積むことができると言われています。 なぜならみんな平等に手を合す場所を継続し、維持できることに貢献したのですから、 結果的にみなさんのためにもなり、引いてはあなたのためにもなるのです。
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月参り

月参り

毎月定期的にお参りさせていただいています。

慌ただしい毎日。意識しないと「亡き人を偲ぶこと」「自分のこころを納め整えること」「過去・未来へ思いを馳せること」そして「あえて考えないこと」など、 意識しないと私たちは何かをお置き去りにしてしまいます。 月参りは定期的にそのような時間をつくる先人たちの智慧かもしれません。

もちろん月1回だけのお参りでは何もかわらないでしょう。 また毎回たわいもない雑談かもしれません。 しかし長い時間軸でみると必ず何かしらの変化があるものです。 人は変わりますし、世の中も移り変わっていきます。 そして人のこころも動き続けています。

また、全員ではなくても月一回家族親族で集まり、手を合わせる習慣を意識的に持つことは、 故人先祖そして自分を内省する時間ともなります。 この習慣は家族の中に何か柱のようなものになっていきます。 それらの積み重ねは当たり前で、目には見えないかもしれませんが、 きっとみなさんの日々に良い影響や何かままならない出来事が起こったときに、 あなたの側にある支えとなります。

「月参り」は、先々代から戦争・自然災害・疫病禍でも継続している当寺院が大切にしている法務です。積み重ねが安穏な浄土と日常の豊さへとつながります。 なんでもないことが記憶や約束となりいつか花が開きます。 よろしければともに手をあわせましょう。

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終活

終活

いままで終活のお話を聴かせていただいて感じたことですが、 最終的に「住職(お寺に)にまかせます」とお寺が託される存在になれば、安心して旅立っていただけるということができると感じています。

いくら終活をしても計画通りいきませんし、いつどこで亡くなるかもわかりません。 自分の棺は自分で担げないのです。 最後はやはりどうしても人の手を借りなければなりません。 もちろん一番良いのは次世代へ「子供たち」「甥姪」などに託せばよいのです。 しかし、昨今一人暮らしだったり、親族に託す人がいない、また、迷惑をかけたくないなどの理由で終活をなされる方が多いです。 人生はいろいろ、どれ一つとっても同じではありませんし、最後の最後までこころは揺れるものです。 自分の人生にとって、どれが良いのか?をともに考え共に歩んでいければ幸いです。

また、託す人にも「お寺さんにお願いしておいたから、何かあったらお寺さんに相談して」と 言っていただければ大丈夫です。 託された人も「訊ねることが出来る人」「一緒に考えてくれる人」がいれば、 心やすく受け入れやすいものです。

そうはいってもいろいろな手続きがあります。 僧侶一人では難しいので、そんなときは状況に応じて士業、遺品整理業、改葬(仏壇・お墓の終い・改葬) など専門の方とともに進めさせていただきます。 みなさんは一人ではありません、ご安心ください。

長い間この地に居続けることでできた信頼が当寺院にはあると思っています。 私たちはみなさんの側にいます。

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仏壇・墓終い

仏壇・墓終い

現在お墓や仏壇の終い(処分)について考えている方は、まずは一度僧侶の私のお話を聴いていただけませんか?

お墓や仏壇は先人の智慧という考えもあります。その智慧があったからこそ、何らかの「いいこと」があったので、長い間残ってきたのです。 そしてまた、お墓や仏壇を残すことは、先祖・祖先からの次世代(あなた)への「いいことがありますように」といった願いであることを知っていただければと考えています。

もしかしたら、いま「墓」や「仏壇」を終わりにすると、 いままで目には見えていませんでしたが、当たり前にあった 「墓参り」「仏壇・先祖に手合わせる場所」などの手を合わせる機会を失うことになるかもしれません。 不安を煽る様なことを言っているかもしれませんし、もちろん、絶対でもありませんし、例外もありますが、 先人達は、手を合わせる場所を身近につくることで、なにか良いことがあったから、こうやって引き継いで来ているのです。 仏壇・お墓に手を合わせて祈る習慣があるというのは財産なのです。 それを祖父母や父母などから引き継いでできるという事も財産なのです。 また、それを先代の大人達から受け継いだ祈る習慣を子供達や孫達、次世代へ継承できるというのも財産なのです。 どうしても、私たちは目に見えないものは財産と思うことができないかもしれません。 でも、こうやって受け継いでいくことで、内省や感謝を日々持つことができる時間をつくることができていたかもしれないのです。 それが今後できなくなるかもしれません。

受け継ぐことはプレッシャー(迷惑?)にもなりますが、それ以上に「良い事」があったと思うのです。 それは自分の中の「生きにくさ」「生きづらさ」を軽減させたり、 生きる支えや心強さを与えくれるものかもしれません。 そして、おかげさま、お互い様とお互いを確認する事により、周囲との摩擦、 争いを減らすことにもつながってくるとおもうのです。 これらは、今の世代、そして、次世代であっても社会で円滑にいきるということにも繋がっていきます。 そうすることで、生活上の不要なリスクやコストを減らすことができます。 本当に目に見えないことですが、当たり前に日本にある安心安全は こうやってつくられてきたものでもあるのです。

そして僧侶を長くしていて確認できたことなのですが、お墓や仏壇は歳をとってときや、 病などで体が思うように動かなくなったたき、日々の安寧につながるものとなるのです。 健康なうちはあまり意識しないものなのですが、人は必ず老いて、病み、亡くなります。 そんな自分ではどうしようもない出来事に遭遇したとき、人は何かにすがりたくなります。 そんなときに仏壇やお墓が、あたなの支えになってくれるのです。

いまもし、コストパフォーマンス(費用や効率)で墓や仏壇を考えているのでしたら、 こころの問題は費用や効率で測ることはできません。 自分はなくても大丈夫だと言えても、他の人や次世代はどうでしょうか? もしかしたら身近な人が必要になるかもしれません。 先祖からの財産(予防)として残しておいた方が良いかもしれません。 もちろん、なくても良いのですが、お墓や仏壇が側にあると、故人や先祖や仏様に触れる機会が増え、 より癒しや救い、支えがあなたの側にあることになります。 お墓や仏壇はこころの余裕やより所になります。 目には見えなものへの敬意があった生活の方が、人生うまく流れていき日常生活が過ごしやすもとなるのです。

いちど機会があれば、親族の誰かに聴いてみてもいいかもしれません。 姓が違っても子や子孫が仏壇や墓をみてもいいと思っているかもしれません。 「負担だ」「迷惑がかかる」といっているのはメディア(広告料などをいただいている)の 新規開拓の商業行為だけかもしれません。 次世代(子や子孫も)にとっても、いつかは自分も入る必要なものでもあります。 長い目で見れば負担(費用対効果)はその都度何か購入するより軽減するかもしれませんよ。 またその都度考えなくてもいいので、次世代にとっては決断する精神的な負担も少なくなるかもしれません。 このように世代を超えた長い時間軸の目線で検討してみるのもありかもしれませんよ。 それでも今時じゃない、手間暇がかかる、費用もかかる、迷惑(負担)がかかる etc. そのようなことはもう、昔の人も重々承知していたとおもいます。 知った上でそれ以上に良い事があったから継続してきたとも考えられます。

どうすれば一番みなさんのお気持ちが納まるか、次世代のためにはどうすればいいか?一緒に考えませんか? 墓・仏壇は世代を超えた、未来への希望と安穏の「引継ぎの物語」です。 より良いご検討をお願いします。

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心の相談

心の相談

お寺の本堂という空間 そこは日常と違った場所です。 そこでお茶でも飲みながら阿弥陀様とともに共にあなたのお話を聴かせていただきます。

もちろん、ただ時間を過ごすのもありです。 また、御側にいますが、お坊さんは万能ではありません。 一緒に神仏に手を合わせたりすることしかできないかもしれません。 お寺での相談は、専門のカウンセリングではありませし、治療行為でもありません。必要があれば確認の上、専門分野へ繋げさせていただくことがあるかもしれません。

それでも、お寺での時間が、あなたのこころに少しでも余白を提供できることができればこんなにうれしいことはありません。 お寺での時間はあなただけの時間です。 阿弥陀様と当寺院はあなたの平穏を願っています。

合掌

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